6/30

申し訳ありません
5/293/7の新着記事を修正させていただきます。訂正と修正があります。


<訂正>

5/29 「環境と社会にやさしく、沖縄に適した100%バイオディーゼル燃料」の(2)食糧とバッティングしない・・・の
17行目のところです。


マイナス5℃以下 プラス5℃以下


引用の誤記です。申し訳ありません。引用文献を示しておけばミスも防げましたし、パームとの比較も出来ますので追記しました。(従って本土では一年を通して、特に冬場は使えません)

サンプル 曇り点(℃) 目詰まり点(℃) 流動点(℃)
精製ココナッツ
油FAME※
−2.5
精製パーム
油FAME
16 12 15
Jatropha
油FAME
(ナンヨウアブラギリ)

                        出所:「アジア諸国における未利用バイオマスからのバイオディーゼル燃料生産に関わる調査」
                           87頁、三菱総合研究所、平成18年9月

              ※添加剤なし
              ※FAMEはメチルエステルのこと



<修正>

3/17 『沖縄バイオ・ディーゼル燃料プロジェクト(理論・定性編)』<3種のバイオ>の廃食油の燃料の部分です。

<3種のバイオ>
パーム・オイル燃料
ジャトロファ・オイル燃料(※注:この特性については本HP新着情報2/4を参照されたい)
廃食油の燃料

これまでとは異なった高速遠心分離機の開発が必要です。これにより廃食油を濾過するだけでクリーンなエネルギーが可能となります。この機器導入、使用によって、地域のバラツキに対応が可能となります。

(以下は追記する部分です)
沖縄の廃食油(5%程度)をジャトロファ・オイル燃料(油)と混合することを試みました。これによって現在、沖縄の廃食油を九州(福岡)へ出していましたが、これを県内で処理することが可能になります。しかし、沖縄の廃食油にはラード分が多く含まれていたり、油分以外の混入もあるようです。当分はジャトロファを中心にバイオ燃料を使っていきたいと思います。


<修正>

3/17 『沖縄バイオ・ディーゼル燃料プロジェクト(理論・定性編)』<選定したバイオ・ディーゼル燃料>の(注・3)です。


(注・3)
 バイオ燃料を輸入(東南アジアからパーム・オイルを想定)すると、その原料生産は主として人力で行なうのでCO2の発生が少なくなります。しかしこれに比べ、国内でのバイオ生産(国内菜種栽培を想定)は肥料や機械によるので、多くのCO2の発生、燃料消費を伴います。わが国のようにライフ・サイクル・アセスメント(原料の製造から最終の消費までトータルな評価)をすると、実は「三角グラフ」のようになるので、留意することが必要です。


(以下のように修正します)
沖縄では燃料の「地産・地消」は困難だということがわかりました。
沖縄の離島の離島と言われる地域(例えば与那国、波照間、多良間)では、燃料の輸送費などからみると、ライフ・サイクル・アセスメントからすると「地産・地消」が可能、望ましいので、サトウキビと同じように国からの補助をもらえば可能と思い、提案する準備をしていました。
しかし幾度か原産地でジャトロファの種子の収穫、また搾油の大変さ、これらからみて、沖縄ではとても不可能なように思えてきました。
また、非常に大づかみですが収益面でもとても不可能です。ジャトロファを植えつけて3年以降の1ha当りの搾油精製量2.7tとし、また仮に1リットル当り140円で販売可能とすると、378万円/haとなります。
一方、これに対して例えばサトウキビは、一反当りの収穫高を8tとすると、買入れ価格が2万円/tでしので、1,600万円/haとなります。取りあえず、今のところ沖縄での「地産・地消」を撤回したいと思います。そして収穫の機械化などが可能になった段階で再度提案したいと思います。
 



6/26

『リラックス・タイム 6・23国際反戦沖縄集会、久しぶりに参加できました』

 23日の県民慰霊の日、国際反戦集会の行進、2年ぶりに参加できました。一昨年は手術の準備、昨年は術後の経過観察のための入院(毎月)が重なり参加できませんでした。
 集会に参加できた小生と家内の元気な様子、皆様にご覧いただきたく、デモ行進の後に木陰で写真を撮りました。
 しかし参加者、大分減っていましたし、私のようなロートルです。若い人たちの参加を、ぜひ期待します。

 


 また先週の金曜日、桜坂劇場で、これも久しぶりに映画を観ました。マザー・テレサを2本も続けてです。
 その中でつぎの言葉に考えさせられたというか、自分を振り返ってみて反省させられました。
 それは「どのような事、何をするかより(1つ1つに)、愛を込めてすること」ということです。
 私はどんなことをすれば(社会に)効果があるか、効率的か、ということを中心に考えているような気がします。一つ一つを愛を込めてすることも(が)重要なのです。
 大学での授業など、もう少し考えてするなど、反省させられました。

 
                              桜坂で気持ちよさそうに寝ている猫を見つけたので撮ってみました。





6/19


『私が日頃、考えていること、思っていることを言わせて下さい』
  −今、取組んでいるプロジェクトでは果たして解決できるか−


※日本の経済政策、外交政策で日頃、私が考えていること、思っていることを結論のみ言わせてください。特に沖縄と関係することについて書きました。まったく不完全ですが、ぜひ取りあえず言いたいことです。
後日、もう少し整理させて頂きます。



6/5

『リラックス・タイム、自宅のナゴランが咲きました』


 このところバイオ燃料について書くことが多かったので、今回はリラックス・タイムです。
 ナゴランはもともと野生(これは栽培されたものですが)のもので、咲かせるのがなかなか難しいと言われています。
 以前から咲かそうと思って、いろいろ場所を変えたりしていたのですが、咲きませんでした。今回、小禄に引っ越したので、そのときナゴランをただ植木鉢(シークワーサー)につるしておきました。そうしたら咲きましたので、皆さんにご紹介します。
 ナゴランはあまり強い香りはしませんが、とても品のよい香りがします。


           



 次回は「沖縄、全国バイオ燃料特区」「バイオ燃料について言わせていただきます」をご期待ください。

6/9 追加

教会のバナナがもうすぐ食べられるようになります。沖縄もようやく夏らしくなりました。
今年の沖縄は涼しく、なかなか夏が来ませんでしたが、シロオビアゲハもあちこちで見かけるようになりました。
バナナの写真を撮っているとき、丁度、シロオビアゲハが飛んできたのですが、残念ながら撮れませんでした。
きれいな甲虫がいたので、皆様に紹介します。シロテンハナムグリというそうです。
今度、1齢のツマベニチョウの写真を皆様にお見せしたいと思います。お楽しみに。

  






5/29

『環境と社会にやさしく、沖縄に適した100%バイオ・ディーゼル燃料 −非食物(ジャトロファ)とストレート・ベジタブル・オイル(SVO)− を供給します』



5/12
『沖縄大学大学院・特別講演会(無料)』

沖縄大学では、大学院を知っていただくために、大学院の講義の一部を県民に公開します。

<沖縄地域産業事例研究T>
第一線で今、活動している経営者を特別講師としてお招きし、注目されている産業・企業経営について具体的にお話しいただきます。

 東 良和氏(株式会社沖縄ツーリスト・代表取締役社長)
 高安正勝氏(株式会社ぬちまーす・代表取締役社長)
 平野敦志氏(株式会社ネットストラジー・代表取締役社長、ハーバードビジネススクール招待講師)

<沖縄地域産業事例研究U>
これまでとは異なった視点から、ビジネスのノウハウ、具体的なケースをお話ししていただきます。

 福岡幸一氏(株式会社ネクスト・代表取締役社長)
 吉崎誠司氏(株式会社船井総合研究所・上席コンサルタント)
 吉川 博也(吉川研究室株式会社・代表取締役社長)

クリックしてチラシもご覧ください。 

 沖縄地域産業事例研究T

 沖縄地域産業事例研究U



4/28

『吉川博也退職記念講演会及び祝賀会』


4月26日(土)に小生の退職記念講演会と祝賀会をパシフィックホテルで開いて頂きました。
沖縄に関わって30年、また沖縄に住んで10年来の本当に懐かしいメンバーともお会いできて、何か同窓会のようで楽しい夕を過ごさせて頂きました。

また、呼び掛け人代表として、清成先生には、東京から来沖していただき、激励のお言葉を頂き感謝しております。
研究室と自宅の引越しが重なり、また名簿の不備もあり、連絡が漏れた方も多く、お詫び申し上げます。このお詫びとご報告と御礼を兼ねて、当日お配りさせて頂きましたプログラムを添付させて頂きます。取り急ぎ、ご報告させて頂きます。


クリックして中もご覧下さい。

クリックすると地図が拡大されます。
              →






3/31
『緒方先生主催のメディア活動奨励賞授与式、26日(土)にありました』


 

 沖縄大学の緒方先生が主催されているメディア活動奨励賞授与式が26日(土)、 琉球新報社で開かれ沖縄の大学から5名、それに本土から1名が選ばれました。
 この6名の学生さんには本土でのジャーナリズム研修旅行(3泊4日)が贈られます。沖縄の学生さんの様に、あまり本土のことを知らない、体験のない若い時に、本土のジャー安リストの人々と体験するのは大変良いことだと思います。また相互に理解するにも一番早いと思います。

 会社が順調に行くようになったら、小生も緒方先生と同様にベンチャーを希望するような学生さんへ活動奨励をしようと思います。と同時にメディアの方にも心ばかりですが、支援を続けさせていただきたいと思います。



*4月1日から新しい事務所での活動を始めましたので、皆様ぜひお立ち寄りください。




3/26

『吉川研究室は、壺川(モノレール駅から5分)に移転しました』


 皆様に取り急ぎ、研究室移転のお知らせをさせていただきます。
新任の先生が4月に大学の研究室に入られますので、その先生の研究室準備の関係もあり、3月24日(月)に
吉川研究室を移転しました。

◆吉川研究室株式会社
 〒900-0025 
 沖縄県那覇市壺川1丁目2番7号 新垣ビル102
 TEL:098−995−7111
 FAX:098−995−7112




3/7(3/10修正・追記)

『沖縄バイオ・ディーゼル燃料プロジェクト』(理論・定性編)
−3種のバイオ燃料による供給安定−


※ホームページでは、最終的な結論のみ示しました。質問、疑問また提携、御提案のある方は、ぜひお気軽にご連絡下さい。



2/15

『市川崑(東京オリンピック)と吉川印刷(銀映耕房)の30年前ぐらいの新聞記事と写真(40年前)を見つけました。とても懐かしくて掲載、紹介させていただきました。』


 このところ、バイオ燃料や環境取引(税)の話が続きました。そこで今回はリラックスタイム、それも懐かしのページです。皆さんも小生に少し、付き合ってください。
 若い人には市川崑(いちかわこん)、五所平之助(ごしょへいのすけ)映画監督といっても、あまりピンとこないかも知れません。小生より年上の方々ですかね。

<今で言うとニッチビジネスですね>
 私の家は東京・小石川で印刷業(銀映耕房)、それも映画の台本を専門としていました。
 私が高校2年の時、父を亡くし、この印刷会社の経営を母、また当時、大学生だった兄、そして私が手伝いました。この印刷会社は今で言えば、ニッチビジネスだったと思います。このビジネス内容について、わかりやすく新聞記事(といっても1978年ですが)、長崎新聞、山陽新聞に掲載されているものを見つけましたので添付します。ご覧ください。


                            「吉川印刷、ニッチビジネス」
          
                               山陽新聞 昭和53年9月13日(水曜日)夕刊5面より

 ある意味で現在、言われているニッチビジネスの特性を説明するのに分かりやすいと思います。特殊な市場に目をつけ、というか専門・特化し、小規模化し、大手では採算が合わないビジネス・マーケットを作ります。そして小規模(だから)でも付加価値が出せるようにするというものです。それには時代の技術革新や、得意先との人間関係を踏まえた、いわばきめの細かいヒューマン・マーケティングが結構大変でした。
 ニッチビジネスによる市場、得意先がいかに便益が上昇し、また一方、こちらも利益が上がるかが、この時よく理解できました。

<技術革新の波への対応>
 私が中学生時代まではこの映画台本制作は謄写版(ガリ版)印刷でしたが、これを他の印刷会社に先立ってタイプ印刷にしました。いわゆる技術革新ですが、これが大変だったことは子供心にも覚えています。
 その後、印刷方式が手刷(謄写)版印刷から、ドイツから輸入したゲステットナー(孔版印刷機)、そして表紙などを写真版、写植と合わせたスクリーン(プロセス)印刷へという変化がありました。

 中小企業でも生き延びていくのは、技術革新への対応が大変だったことを身をもって実感しました。
 そして今後のワープロとパソコンの普及による業態の変化の予想、そして従業員(特に技術者)の高齢化から、吉川印刷は’83年に廃業しました。退職金が十分、支払えるうちにと考えた結果でしたが、これも大変でした。

 前掲の新聞の工場(タイプ部門だけ写っていますが)は、小生が設計したものです。当時、大学生でしたが、ミューサー著、一時訳(確か著訳者だと思いましたが)「システマティック・レイアウト・プランニング」を参考にしたものです。また後掲の写真の左側はその工場の建設中のものです。

<懐かしい市川崑監督、皆の写真>
 また父が亡くなり、母と兄が経営したので、父の友人の映画関係者がよく入稿を兼ねて激励に来てくれました。
 子供の頃の記憶ですが、その中でも印象的だったのは、いつも黒いポロシャツを着てタバコを吸っていた市川崑(いちかわこん)監督、また本当に優しそうだった五所平之助(ごしょへいのすけ)監督です。
 前述した新聞記事と一緒にみつかったものですが、市川崑さんと一緒に当時の社員の皆さんとの写真が出てきました。

              
                         <市川監督を中心に会社メンバー、母も兄も私もいます>


 本当に懐かしくなり、掲載させていただきました。真中、中央の黒のポロシャツが市川さんで、その右隣が母です。また一番右端のめがねを掛けているのが小生と、その左上隣が兄です。
 若い方はあまりご存知ないかもしれませんが、市川監督は「ビルマの竪琴」や「東京オリンピックの総監督」をしました。
 また五所平之助監督は優しさと同時に何かモダンな感じの人で、「煙突の見える場所」や「挽歌」を作った人です。また私が個人的によく覚えているのは、シナリオライターの宮川一郎さんです。よく吉川印刷の2階で原稿を書いていて、それこそ1ページ出来上がるごとに、それを印刷にまわしていたのを覚えています。活動屋さんといわれる人たちとはいろいろな思い出がありますが、長くなりますので省略します。
 こんな昔話を懐かしんでいるのも、私も年をとったのですね。


※訃報に接しました。
このHPを書いている今、市川さんの訃報をテレビで知りました。
改めてご冥福をお祈りいたします。
また、市川さんの脚本をほとんど手掛けられた和田夏十さん(奥様)と、久しぶりにあの世でお会いされて、喜んでおられると思います。




2/4

『パーム・バイオ・ディーゼル燃料御使用の会員の皆様に、御礼と今後のジャトロファ(南洋アブラギリ)の計画のお知らせ』




1/21(1/23追記)

『沖縄環境取引所が開設されました』
−私たちはジャアトロファに取り組みます−


1/11

沖縄で本を書こうよ
−日本ビジネス作家協会・沖縄支部設立パーティー(参加無料)−


 沖縄大学、そして研究室が寄附講座、集中講義でいつも大変お世話になっている、あの「週末の達人」小石さんが、今度、NPO日本ビジネス作家協会沖縄支部を設立しました。そして、小石さんが同・沖縄市部長を務められます。
 昨夏、「特殊講義XIVワーク・ライフ・バランス論」の集中講義でも学生とのコミュニケーションをしながら、一人一人に本を書いてもらう企画を試みもしています。
 さて、小石さんの呼びかけている設立パーティーの日時、場所を記します。詳細は週末の達人をご覧ください。ご興味のある方はぜひご参加ください。



               沖縄で本を書こうよ!
      〜日本ビジネス作家協会・沖縄支部設立パーティ〜



         日 時:1月25日 午後7時〜9時
         会 場:日本ビジネス作家協会・沖縄支部
         900-0002 那覇市曙1-20-27奥間ビル2階
         車の方は、港付近が駐車禁止ではありません。

         電 話:090−2214−4367(当日のみ。小石)
         募 集:何人でも(事務所には30名程度入れます)
         参加費:無料

     (注) 料理の差し入れなど歓迎します。もちろん手ぶらで結構です!







1/7

『1月16日(水)13:00、沖縄産業支援センターにて、私が沖縄環境ビジネスの可能性とチャレンジを話させていただきます −沖縄環境取引所設立記念セミナー− 』


 1月16日、沖縄環境取引所設立記念セミナーが開催されます。ご案内させていただきます。以下に添付した文書をご覧下さい。

     


 私はCO2排出量システムについては素人なので、もう少し広げた分野についてお話させていただきます。それは「沖縄振興とベンチャー・ビジネス」ですが、沖縄環境ビジネスの可能性、パーム・バイオ・ディーゼル燃料などについて、チャレンジしていますので、これについて話させていただきます。
 それは沖縄でこそ本土メジャーに勝てる、沖縄環境ビジネスを提供したいと思っています。

 また地球温暖化対策については日本政策投資銀行の杉原さん、CO2排出量の環境取引活動については既に4年前から名古屋と東京で取引活動に取り組んでいる向井さんがお話しします。
 皆さんのご参加をお待ちしています。




『この3月で、私は沖縄大学を退職します。』
−まずはお知らせさせていただきます。−



 私は昨年の12月で65歳になり、12年間、お世話になった沖縄大学を定年退職します。
 これまでとは少し違った生き方をしたいと思います。
 1995年に沖縄大学に奉職し、沖縄経済の厳しい現実を実体験しました。その結果、この12年間、沖縄の企業創造、雇用拡大のためにベンチャー・ビジネスの研究、支援・協力、場合によっては取締役まで、力一杯、働かせていただきました。感謝しております。

<違った生き方を、新しいチャレンジを>
 これからは少し、違った生き方をしたいと思っています。病気のこともありますが、可能なら70歳くらいまでは、残された時間を自分のしたいこと、また在職中には出来なかったことをしたいと思っています。
 今の段階からこんな事を言うのは少し早計かもしれませんが、定年退職した大学の教員のひとつの生き方を提案してみたいと思います。
 65歳で退職しますが、あと5、6年は充分働けますし、リタイヤするには早過ぎると思っています。また大学で特別職で2、3年残って講義のみを続けるという方法もあります。しかし、せっかく残された人生(少し大げさですが)、与えられた機会ですので、これまでとは別の生き方、すなわちボランタリー活動、途上国での活動、そしてビジネスとは言わないまでも沖縄自立に具体的に関わっていきたいと思っています。

<事務所を探しています、自宅も移動します。>
 昨年5月に設立した一人会社「株・吉川研究室」、またNPO・いきいき沖縄ネットワークで、自分のやりたい事を、皆さんとまた本土から来られた方が集まりやすい、活動しやすい場所を確保したいと思っています。
 また自宅は今の大学に近い長田ではなく、私も家内も自動車を運転しないのでモノレール、空港の近くの小禄(駅)の周辺に移る予定です。
 具体的なプランについては、いろいろ構想しているところで、3月までには整理し、まとめて皆さんにお知らせします。

<どうぞお声を掛けてください。>
 沖縄振興構想、雇用機会の拡大、沖縄の将来ビジョンなどに関心のある同志の方がおられたら、ぜひメールやお声をお掛けください。そしてご意見をお聞かせいただき御一緒に、具体的に構想していきましょう。
 また本土と沖縄との連帯、連携を計画している方々にも沖縄事務所の提供、また紹介やマッチングなども協力させていただきます。
 皆様にもこれまでもですが、本年は特にですが、お世話になると存じます。よろしくお願いします。
 まずは、お知らせのみにて失礼させていただきます。

<追伸>
 ベンチャー講座、社会人1期生(’96年度)の豊里勝一(マナウスManaus在住、現在、JICAシニア派遣で頑張っておられます)さんから年賀状が届きました。
 沖縄からの野菜とノニをマナウスの市場に出荷できるようになったという報告です。そして小生が研究所(吉川研究室)を設立したら、ぜひ協力したいという嬉しい連絡を受けました。





12/28

『年末、年始のご挨拶に代えて』




 この港は少し淋しいぐらいですが、本当に静かです。しかし単なる人工的な、あの雑風景な埋立地とは異なり、人の手の暖かさというか、いわゆる昔からの漁港の面影が残っているから、私が好きなのだと思います。
 また、私が本土出身なので、例えば伊豆の港のように、急斜面があり、それを下るとへばりつくように港と町があるのが似ているからかもしれません。
 ここからは写真のように慶良間の島々が綺麗に見えます。



 遠くに糸満の町が見えます。これは漁港に隣接しているビーチですが 人工の手が加わっていない、いかにものんびりした感じですね。
 遠くに糸満の町々が見えます。





  前面がすでにキビ倒し(キビ刈り)がすんだところ、後方のキビの
  白い穂が綺麗です。

 毎月末、治療のため3〜4日、入院していますが、年末ということもあり自宅で療養ということになりました。
 昨日(27日)は午前中で病院のチェックも終わり、午後からフリーになりました。
 少しホッとしたこともあり、また気晴らしも兼ねて、小生の好きな糸満の喜屋武(きゃん)漁港に行ってきました。ここは沖縄本島で南端になります、と言っても那覇から小一時間です。途中、幾カ所かでツマベニチョウが飛んでいるのを見かけました。それくらい暖かかったですし、今日も沖縄は暖かです。

 この喜屋武漁港は本当に静かで、ゆっくりしたい時、ホッとしたい時に年に2、3回訪れます。



             慶良間島が本当に眼前に見えます。
  


 また、海辺ではアオサーが緑で、すでに来年の準備をしています。沖縄の春は海からやってきます。
 また、サトウキビの穂が、沖縄の冬を改めて気付かせますね。



                   アオサ
  

  
 義父を10月に亡くしたこともあり、年末年始のご挨拶を失礼させていただきます。皆様には楽しい年末年始をお過ごし下さい。失礼させていただきます。